尖閣諸島を巡る件、中国海軍が島の沖合にフリゲート艦を派遣するなど、だいぶきな臭くなってきましたね。民主党政府がこのままアホな対応を続けるならば、リアルタイムで日本の領土が掠め取られるのを拝める時がくるかもしれません。本当に勘弁してほしい。

 

平和ってなんだろう。戦争状態ではないこと、って答えが浮かんだけど、平和と戦争を安直に結びつけるのは偏った教育の産物じゃないかと思う。自分はゆとり世代の初期ロットに該当するけど、小中学校では「平和学習」なるものがあって、修学旅行には広島にも行かされた。平和記念公園で「木琴」も歌った。ついでに言うと小中学校で君が代を歌ったことはなかった。

その時は大して疑問を覚えはしなかったけど、今振り返ってみるとおかしいと思うことがある。日本で言う「平和教育」というのは「戦争反対!」「戦争は悲惨だったんだ!」という2点をひたすら刷り込まれる気がする。少なくとも私の時はそうだった。戦争は悲惨だったということは小中9年間を通してみっちり教え込まれるけど、どうして戦争に至ったのかについては、歴史の時間で数時間触れるだけ。小一時間も触れないんじゃないかな。戦争は避けるべきという点に異論は無いけど、だったらどうして戦争を避ける術を教えないのか。

 

日本では共産党や社民党、日教組が幅をきかせているせいで「戦争を避けるためには軍隊を持たないのが一番!」というのが半ば常識化していると思う。多分道行く人に「戦争を無くすにはどうすればいい?」って聞いたら、8割方がそう考えると思う。確かに軍隊を持たなければ戦争にはならない。けど一方的な侵略や虐殺が起こりうるのは、歴史が証明している通り。かつてベルギーやルクセンブルクは永世中立国を謳い、世界も認めていたけれど、あっさりドイツ帝国に侵攻され、莫大な被害を出した。

「対話をすれば戦争は避けられるんですぅ」って主張する一部の人もいるけど、あれは本当に脳内がお花畑という表現がピッタリだと思う。一昨日もNHKのクローズアップ現代に、中国の暴動をを取り上げて「中国の若者はそんなにバカじゃない、話せばわかる、対話が大事」とか抜かしてた評論家がいたけれど、「相手も自分と同じ価値観を持っている」というエゴ丸出しの考えを捨てたほうがいいと思う。民族が違えば歴史が違う。環境が違えば常識が違う。宗教が違えば善悪も違う。相手との違いを認識し、それを受け入れることこそ本当の相互理解じゃないの?と思う。

そこらへんの事情を全部すっ飛ばして、「軍隊を持つから戦争が起こるんだ!」という主張をする人は、頭の中がお花畑なのか、それとも日本を侵略させたいのかのどっちかと思われても仕方がないんじゃないか。

 

お花畑の人たちが主張する理想の国に「スイス」が挙げられる。曰く「スイスは永世中立国で、戦争をしない国」らしいが、とんでもなく誤った主張である。

当然スイスには軍隊があるし、国民皆兵で徴兵制度だってある。各家庭には自動小銃が配備されていて、地域ごとに管理される倉庫には対戦車兵器まで用意されている。主要道路には戦車の侵攻防止のための障害物やトーチカが常設されているし、国境地帯のトンネルや橋には、爆破用の爆薬を仕掛けるための穴が開けられている。有事の際には焦土作戦をも辞さない覚悟を持ち、国民にも防衛意識を高める教育がなされている。

軍事力だけじゃなくて外交にも長けていて、国際機関の本部を積極的に誘致したりもしているし、スイス銀行は世界有数の銀行だし、学校や職場にはシェルターが設けられている。そんな国がスイスである。

 

現代において戦争は1つの「ビジネス」じゃないかと思う。つまり「得をするから」戦争をしかけるのであって、戦争をしても得るものが何も無いか、失うものが大きければ戦争は起きないのではないか。よく言われる「抑止力」というものがそうではないか。

その抑止力には「軍事力」「資源」「外交」などが挙げられると思う。確実に負けることが分かっている戦いを望む国はないし(日本が絶対に勝てない連合軍に喧嘩を売ったのは、外交力で敗北して、国民生活を維持するためには究極の外交である戦争に賭けるしかなかった)、資源があれば圧力を加えることができる。また、スイスのように積極的に国際機関の本部を誘致することで、他国が攻撃をしかけにくくすることが出来る。(もし国際機関に被害が出れば世界的に糾弾されるから)

 

果たして今の日本はどうだろう?

軍事力で見れば日本は確かに軍事大国ではあるけれど、専守防衛に則った構成なので、相手国からすれば「送り出した戦力以上の被害を受けることは絶対に無い」という、「攻撃してきたら徹底的に壊滅させてやんよ」というアメリカなんかに比べたらローリスクな相手である。完全に撃退することが保証されているならともかく、相手に「やってみなければわからない」程度の抑止力しか与えられないとしたら、それは無意味ではないのか(人間ってギャンブル好きだよね)

その点を補うのが外交であり、主軸であるのがやっぱり米国である。いろいろ気にくわないこともあるアメリカでも、共通の価値観を持ち、共産圏に対する利害が一致しているという点では最も信頼できる同盟国ではないか。というか、前述の通り自衛隊が専守防衛である以上、攻撃能力を持つアメリカ軍とはセットで運用しなければ抑止力を維持できないと思う。

とは言ってもアメリカだって自分の国が一番かわいいんだから、無条件で日本を守ってくれるわけがない(無条件で助けてくれると思ってる日本人も多いみたいだけど)。やっぱり最低限の努力をし、お互いに助け合うくらいのレベルにならなければ、いつ見捨てられるか分かったものではないと思う。

アメリカ以外の外交だってフニャフニャもいいところ。せっかく日本は中国に多額のODAを拠出しているのに、中国国民にその事実は伝わっていない。それどころか中国は、アフリカに積極的にお金をばらまいて発言力を高めようとしている。だったら日本が直接アフリカに援助すればいいではないか。

台湾にしても、地政学的に共通の敵を持ち、日本統治時代に同じ教育を受け同じ価値観を持つ台湾人もまだ存命で、日本に対して親近感を持ち、世界で一番震災の時に援助をしてくれた台湾に対して日本は非常に冷徹だと思う。中国様への配慮ではあるが、台湾海峡は日本の生命線であるのだから、もっと援助してもいいと思うし、外交面でも働きかけるべきじゃないのか。

中東も日本で消費される石油の大半を算出する生命線である。日本は昔から独自の外交で親交を深めていたのに、近年の過度なアメリカ追従でその親交すら揺らいでいる。外交というのはカードの出し合いで、いかにカードを多く持ち、いかに効果的なタイミングでカードを切り、いかに自分に損が無く相手が得をするカードを相手に出させるかが勝負であるのに、日本はくだらない問題でアメリカへのカードを失い、結果としてアメリカにも頭が上がらなくなってしまっている。

太平洋に浮かぶ島々は日本と同じ島国・海洋国家である。同じ漁業をし、魚や鯨を食べる。また戦前は日本の信託統治領だったため、日本との関係も深く、パラオのような親日国もある。環境問題などで積極的に協力し、関係を深めて国際社会での発言力を高めるべきじゃないのか。小さくても1つの国であることに違いはないのだから。

今の日本は中韓朝という、いくら貢いでも振り返らないタチの悪い女に夢中な馬鹿な男みたいに思う。非常に情けない。

 

最後に資源。困ったことに日本にはロクな資源が無い。石油は出ないし金銀だってとっくに掘り尽くしてしまった。唯一頼れるのが海底資源ではあるが、これははっきりいって「日本」という国自体は全く必要無い。中国が現在進行形でやってるように、近くに油田を作って勝手に吸い出してしまえばいいことであり、帰って日本を「おいしく」見せてしまっているように思う。

資源という意味では、日本の技術力もまた資源である。日本が焼け野原になってしまっては部品が作れない。日本製の部品が無いと製品が作れない、と思わせることが出来れば、それは抑止力になる。が、最近では中韓のメーカーの台頭が著しく、一日本人の私としても「なんか日本のメーカー無ければ無いでなんとかなりそうだよね」と思わなくもない。悲しいことではあるけれど。

 

つまり、日米関係が揺らぎ、国内が不景気のズンドコで、外交力もふにゃふにゃ、自衛隊の予算が削減されている今、日本の抑止力はどんどん下がり「おいしそうな国」になってしまっていると私は思う。これは平和とはほど遠いのではないか。

「平和教育」と称して、実は平和とは最も遠い戦争を自ら招くような教育はやめるべきだと思う。「平和教育」を自称するなら「どうすれば平和が保たれるか」という点もしっかり教えるべきじゃないか。

 

最後に繰り返しになってしまうけど、「相手も自分と同じ価値観を持っているはず」というエゴイズムを押しつけ、「そんなバカなことはしないはずだ」という不確かな思い込みに、自国の安全保障を委ねるというアホなことがあってはいけないと思う。自分の身は自分で守る。それが軍事力によるのか外交力によるのか、それとも札束で頬をたたくのか、それらを組み合わせるのかは個々人の自由だと思うけれど、最低でも「どうやって抑止力を維持するか」という議論をしてもらいたいなと思った。

 

こういう主義主張が絡む話題を積極的に書けるのはブログのいいところだよね。facebookとかmixiは回りの目も気になるし、なんか日本人って政治と宗教の話をするにはタブー的なところがある気がするし。

 

あ、ちなみに私はミリオタですが戦争は嫌いです。だって壊れちゃうもんね。